夫婦間の問題も時代や場所によって様々。
こと16世紀のトルコでは、とても今では考えられない
様な問題があったようです。
今回のお話は、社交の場としての役割が強くなった
コーヒーハウスに入り浸る男どもの現状がさせたルール
なのかもしれません。
それにしても、コーヒーの魔力恐るべし!!
2018年01月27日
2017年04月11日
世界カフェめぐり
2016年06月05日
ことわざ
この間、「コーヒーハウス物語〜バッハさん、コーヒーはいかが?」
という本を読みました。
正直、今までコーヒーカンタータの事を「詳しく調べてみよう!」なんて
思った事がありませんでした。
コーヒーの知識として、「コーヒーカンタータ=バッハ」と言うことぐらいは
知っていました。が、その内容や旋律を知るきっかけすら作ろうと思わず、
いわゆる「ほったらかし」と言うやつです。
しかし、その「きっかけ」とは突然やって来るものです。
ある時家に帰ると一冊の本がテーブルにおいてありました。
その本とは「コーヒーハウス物語」。
妻が図書館で見つけたようで、そのまま借りてきてくれました。
取り敢えず、サラッと一通り目を通してみると、あの有名な「バッハ」
(コーヒー屋さんではありません。そちらも有名ですけど)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの事が詳しく書かれているではありませんか。
正直、クラシックをよく聴く訳でもなく、歴史が得意と言う訳でもないので、
「この手の内容はちょっと手こずりそうだな」と思いながら読んでみました。
断片的、まるでパッチワークみたいに頭の中でバラバラなイメージで散らばった
感じで、その内容は取り敢えず脳にへばりついています。
はじめはその断片的な記憶を駆使して、「コーヒーカンタータ」の事でも描いて
みようと思いましたが、「全然」まとまらない事に加えてこの本の頭に書かれていた
「ことわざ」がとても印象的だったので今回はその「ことわざ」をマンガにしようと
思いました。
前置きが長い!!と言われるかもしれませんが、一応こんな事がありましたので
ご報告まで。
<補足>
「いいコーヒーとは、
娘っ子の一日目のキスのように熱く、三日目の愛のように甘く、それを知った
母親のつく悪態のように黒くなければならない」
コーヒー発祥の地、古代オリエントの国で広がったとされる「ことわざ」だそうです。
という本を読みました。
正直、今までコーヒーカンタータの事を「詳しく調べてみよう!」なんて
思った事がありませんでした。
コーヒーの知識として、「コーヒーカンタータ=バッハ」と言うことぐらいは
知っていました。が、その内容や旋律を知るきっかけすら作ろうと思わず、
いわゆる「ほったらかし」と言うやつです。
しかし、その「きっかけ」とは突然やって来るものです。
ある時家に帰ると一冊の本がテーブルにおいてありました。
その本とは「コーヒーハウス物語」。
妻が図書館で見つけたようで、そのまま借りてきてくれました。
取り敢えず、サラッと一通り目を通してみると、あの有名な「バッハ」
(コーヒー屋さんではありません。そちらも有名ですけど)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの事が詳しく書かれているではありませんか。
正直、クラシックをよく聴く訳でもなく、歴史が得意と言う訳でもないので、
「この手の内容はちょっと手こずりそうだな」と思いながら読んでみました。
断片的、まるでパッチワークみたいに頭の中でバラバラなイメージで散らばった
感じで、その内容は取り敢えず脳にへばりついています。
はじめはその断片的な記憶を駆使して、「コーヒーカンタータ」の事でも描いて
みようと思いましたが、「全然」まとまらない事に加えてこの本の頭に書かれていた
「ことわざ」がとても印象的だったので今回はその「ことわざ」をマンガにしようと
思いました。
前置きが長い!!と言われるかもしれませんが、一応こんな事がありましたので
ご報告まで。
<補足>
「いいコーヒーとは、
娘っ子の一日目のキスのように熱く、三日目の愛のように甘く、それを知った
母親のつく悪態のように黒くなければならない」
コーヒー発祥の地、古代オリエントの国で広がったとされる「ことわざ」だそうです。
2015年06月24日
ビッグウェーブ
最近コーヒー業界では「第3の波」と称したコーヒー販売のスタイルが
賑わいを見せていますが、過去にはコーヒーそのものの伝播にかかわる
ビッグウェーブが起こっていたようです。
その普及の裏には良くも悪くも政治的な駆け引きや混乱がいろいろあった
ようで、この時期はまさに「コーヒー受難期」。
人々を魅了し広がってゆくコーヒーに時の権力者や一部の回教徒達が恐れ
弾圧を試みます。
しかし、その弾圧に反対する者や正当性を主張する者の働きによって
コーヒーは人々に解放されます。
この時期にはそんな事が、度々繰り返されたようです。
そんな「善と悪」とを繰り返しながら人々の生活になくてはならない存在に
なっていったようです。
コーヒーが「魅惑的な飲み物」と言われる由縁でしょうか。
< 補足 >
今回は、15世紀から17世紀に広がったコーヒーハウスについて描きました。
この当時「賢者の学校」と呼ばれ政治、社会、宗教などさまざまな情報交換の場として
とても賑わっていたそうです。
色んな情報が入ってきて知識レベルが上がるとろから「賢者の学校」と呼ばれたんで
しょうね。ただ、その自由な議論が仇となって「コーヒー禁止令」などの弾圧に
繋がっていくのです。
そう言えば、今でも喫茶店やバーなど飲食店でのこの様な内容の話は御法度だったり
しますよね。
それだけ身近で、不特定多数の人が利用するがゆえに影響力が多きいんですよね。
どこでどんな人が聞いているか、分かりませんから・・・。
まぁ〜そんなややこしい時代を乗り切る立役者として登場するのが
「アブダル カディー」。1587年に「コーヒー由来書」を著作。
「コーヒーは健全な飲み物だ!」と訴えて、理解を求めていったそうです。
賑わいを見せていますが、過去にはコーヒーそのものの伝播にかかわる
ビッグウェーブが起こっていたようです。
その普及の裏には良くも悪くも政治的な駆け引きや混乱がいろいろあった
ようで、この時期はまさに「コーヒー受難期」。
人々を魅了し広がってゆくコーヒーに時の権力者や一部の回教徒達が恐れ
弾圧を試みます。
しかし、その弾圧に反対する者や正当性を主張する者の働きによって
コーヒーは人々に解放されます。
この時期にはそんな事が、度々繰り返されたようです。
そんな「善と悪」とを繰り返しながら人々の生活になくてはならない存在に
なっていったようです。
コーヒーが「魅惑的な飲み物」と言われる由縁でしょうか。
< 補足 >
今回は、15世紀から17世紀に広がったコーヒーハウスについて描きました。
この当時「賢者の学校」と呼ばれ政治、社会、宗教などさまざまな情報交換の場として
とても賑わっていたそうです。
色んな情報が入ってきて知識レベルが上がるとろから「賢者の学校」と呼ばれたんで
しょうね。ただ、その自由な議論が仇となって「コーヒー禁止令」などの弾圧に
繋がっていくのです。
そう言えば、今でも喫茶店やバーなど飲食店でのこの様な内容の話は御法度だったり
しますよね。
それだけ身近で、不特定多数の人が利用するがゆえに影響力が多きいんですよね。
どこでどんな人が聞いているか、分かりませんから・・・。
まぁ〜そんなややこしい時代を乗り切る立役者として登場するのが
「アブダル カディー」。1587年に「コーヒー由来書」を著作。
「コーヒーは健全な飲み物だ!」と訴えて、理解を求めていったそうです。
2014年10月19日
チップ
今回のお話は「チップ」の語源について。
そう、皆さん良くご存知のサービスしてもらった後の報酬の事です。
しかし、この話は描こうかどうか迷いました。
私が「チップの語源」について初めて知ったのは、今回参考にさせて頂いた
伊藤 博さんの「コーヒー博物誌」でした。
20年程前、コーヒーを勉強し始めたころ読んだ本で、その当時この話を読んで
素直に「へえ〜」と思い、とても印象に残ったのです。
その後チップの語源に関しては諸説ある事を知りました。
しかし初めて知った説が「偽りである」と書かれているのを見た時はショックでした。
でも語源については俗語のため「不明」という説もあり、正直何をもって
「偽り」と断言しているのかが分かりません。
それに、ほかの説にはドラマもユーモラスもありません。
と言ったも今回ご紹介する説が「正しい」という訳でなありませんが、
少なくても人間味とユーモラスは感じて頂けると思います。
< 今回の補足 >
この話の舞台は17世紀〜18世紀のイギリス。
この当時、イギリスには2000〜3000店もの「コーヒーハウス」が
存在していたそうです。
当時の「コーヒーハウス」は社交と情報交換の場として最適であらゆる階級・職種の
人達でとても賑わっていたそうです。
そんな賑わいの中、この「チップ」の習慣が生まれたという訳です。
この補足読んで「あれ?」と思った方。
そうです。
イギリスでコーヒーハウスなんです。
イギリスと言えば「紅茶」ですよね。
その話は後程・・・。
そう、皆さん良くご存知のサービスしてもらった後の報酬の事です。
しかし、この話は描こうかどうか迷いました。
私が「チップの語源」について初めて知ったのは、今回参考にさせて頂いた
伊藤 博さんの「コーヒー博物誌」でした。
20年程前、コーヒーを勉強し始めたころ読んだ本で、その当時この話を読んで
素直に「へえ〜」と思い、とても印象に残ったのです。
その後チップの語源に関しては諸説ある事を知りました。
しかし初めて知った説が「偽りである」と書かれているのを見た時はショックでした。
でも語源については俗語のため「不明」という説もあり、正直何をもって
「偽り」と断言しているのかが分かりません。
それに、ほかの説にはドラマもユーモラスもありません。
と言ったも今回ご紹介する説が「正しい」という訳でなありませんが、
少なくても人間味とユーモラスは感じて頂けると思います。
< 今回の補足 >
この話の舞台は17世紀〜18世紀のイギリス。
この当時、イギリスには2000〜3000店もの「コーヒーハウス」が
存在していたそうです。
当時の「コーヒーハウス」は社交と情報交換の場として最適であらゆる階級・職種の
人達でとても賑わっていたそうです。
そんな賑わいの中、この「チップ」の習慣が生まれたという訳です。
この補足読んで「あれ?」と思った方。
そうです。
イギリスでコーヒーハウスなんです。
イギリスと言えば「紅茶」ですよね。
その話は後程・・・。
2013年11月17日
カフェ・オ・レ
「すっかり」、と言うより「突然」と言った方が良い程、
急激に季節が変わってしまい寒いです。
寒くなるとコーヒーも美味しくなり、「ホット一息」と恋しくなります。
そんな時、ブラックもいいけど「カフェ・オ・レ」もおすすめ!。
ちょっと濃いめのコーヒーにたっぷりのミルク。
気持ちも体もほっこり。
今回は、その「カフェ・オ・レ」の始まりのお話。
<補足>
結構大胆にまとめた形になりました。
17世紀中期、当時フランスではコーヒーが「人間の心身にとても悪い」と
言うイメージだったようです。
そのイメージを与える原因となったのか?は定かではありませんが、1669年の記述に
「フランスのコーヒーは、熱く黒いねばねばした液体であって、シロップで粘りを加えた泥である」。
そこまで酷い飲み物であると言わんばかりの表現で書かれた物体が、正直「体に良い」とは
思えませんよね。
そんな最悪なイメージのコーヒーをモナン医師は、
「百歩譲ってコーヒーが体に悪い物と認めよう、しかしフランスには豊穣と清純なシンボルの
雌牛と牛乳があるではないか。よくかき混ぜてコーヒーの毒性を相殺しよう!」
とかなんとか、半ば強引とも思える説明から「カフェ・オ・レ」の作り方と飲み方、そして
病人に対しての効果効能まで教えたようです。
美味しくて栄養のある飲み物として始まったカフェ・オ・レは、その後フランス人の定番メニューと
して飲まれるようになったそうです。
そんなカフェ・オ・レ伝説とは別に、1660年ごろ中国に派遣されていたオランダ大使の
ニューホッフさんが、お茶にミルクを入れて飲んでいるのを見てコーヒーに初めてミルクを
入れて飲んだと言う話もあるそうです。余談ですが・・・。
※今回の参考文献・・・帝国飲食料新聞社コーヒー大辞典、オールアバウトコーヒー
急激に季節が変わってしまい寒いです。
寒くなるとコーヒーも美味しくなり、「ホット一息」と恋しくなります。
そんな時、ブラックもいいけど「カフェ・オ・レ」もおすすめ!。
ちょっと濃いめのコーヒーにたっぷりのミルク。
気持ちも体もほっこり。
今回は、その「カフェ・オ・レ」の始まりのお話。
<補足>
結構大胆にまとめた形になりました。
17世紀中期、当時フランスではコーヒーが「人間の心身にとても悪い」と
言うイメージだったようです。
そのイメージを与える原因となったのか?は定かではありませんが、1669年の記述に
「フランスのコーヒーは、熱く黒いねばねばした液体であって、シロップで粘りを加えた泥である」。
そこまで酷い飲み物であると言わんばかりの表現で書かれた物体が、正直「体に良い」とは
思えませんよね。
そんな最悪なイメージのコーヒーをモナン医師は、
「百歩譲ってコーヒーが体に悪い物と認めよう、しかしフランスには豊穣と清純なシンボルの
雌牛と牛乳があるではないか。よくかき混ぜてコーヒーの毒性を相殺しよう!」
とかなんとか、半ば強引とも思える説明から「カフェ・オ・レ」の作り方と飲み方、そして
病人に対しての効果効能まで教えたようです。
美味しくて栄養のある飲み物として始まったカフェ・オ・レは、その後フランス人の定番メニューと
して飲まれるようになったそうです。
そんなカフェ・オ・レ伝説とは別に、1660年ごろ中国に派遣されていたオランダ大使の
ニューホッフさんが、お茶にミルクを入れて飲んでいるのを見てコーヒーに初めてミルクを
入れて飲んだと言う話もあるそうです。余談ですが・・・。
※今回の参考文献・・・帝国飲食料新聞社コーヒー大辞典、オールアバウトコーヒー
2013年08月16日
アイスコーヒーのルーツ
最近「アイスねた」が多いのは、このところの暑さのせいだろうか?
いや違う。
「50作品を目指す!」
などと公言してしまい、同じ様な内容を分割して紹介する事で
その作品数を「稼ぐ」狙いがあるらしい。(関係者)
と言う事で、今回も「アイスねた」でございます。
ところで皆さん、「アイスコーヒーって日本製?」
そんな疑問や話、聞いた事ありませんか?
暑〜〜〜〜〜〜い!日本で生まれ、日本でしか飲まれていない。
そのように言われてきた「アイスコーヒー」。
実は・・・。
<今回の補足>
今回ご紹介した内容は、コーヒーの辞書「オールアバウトコーヒー」を
参考に致しました。
そこには、2つの驚きとルーツが記されています。
1つは、「マザグラン」の出来た経緯。
そしてもう1つは、「グラスにコーヒーを入れる」という発想。
コーヒーはカップで飲むのが当たり前と考えていた時代に「グラス」に入った
「マザグラン」には驚きがあったようです。
今のアイスコーヒーのスタイルそのものですね。
当時この「マザグラン」の原形、すなわちアルジェリアでフランス兵が飲んだ
水割りコーヒーを現地では「カセーレジョール」と言っていた話があるようですが、
はっきりしないのでマンガには書きませんでした。
それとまた別に、アイスコーヒーまたは冷たいコーヒーの起源として
「東インド」今のインドネシアの原住民による「水出しコーヒー」が
起源では?と言う話もあったりして・・・。
まぁ、この話は後程。
コーヒー伝説のように発祥説はいろいろあるものです。
いや違う。
「50作品を目指す!」
などと公言してしまい、同じ様な内容を分割して紹介する事で
その作品数を「稼ぐ」狙いがあるらしい。(関係者)
と言う事で、今回も「アイスねた」でございます。
ところで皆さん、「アイスコーヒーって日本製?」
そんな疑問や話、聞いた事ありませんか?
暑〜〜〜〜〜〜い!日本で生まれ、日本でしか飲まれていない。
そのように言われてきた「アイスコーヒー」。
実は・・・。
<今回の補足>
今回ご紹介した内容は、コーヒーの辞書「オールアバウトコーヒー」を
参考に致しました。
そこには、2つの驚きとルーツが記されています。
1つは、「マザグラン」の出来た経緯。
そしてもう1つは、「グラスにコーヒーを入れる」という発想。
コーヒーはカップで飲むのが当たり前と考えていた時代に「グラス」に入った
「マザグラン」には驚きがあったようです。
今のアイスコーヒーのスタイルそのものですね。
当時この「マザグラン」の原形、すなわちアルジェリアでフランス兵が飲んだ
水割りコーヒーを現地では「カセーレジョール」と言っていた話があるようですが、
はっきりしないのでマンガには書きませんでした。
それとまた別に、アイスコーヒーまたは冷たいコーヒーの起源として
「東インド」今のインドネシアの原住民による「水出しコーヒー」が
起源では?と言う話もあったりして・・・。
まぁ、この話は後程。
コーヒー伝説のように発祥説はいろいろあるものです。